日本がロボットでイノベーションを起こせない理由

どうも、Stepです。

前回の続きを書きたいと思います。

次回で、このテーマは終了する予定です。

前回をまだお読みでない方は、こちらから。

こちら

・変換点になった、福島原発事故

アメリカがヒューマノイドの開発が、重要だと考えるようになった変換点は、
日本の地震での福島原発事故です。

地震後、原子炉建屋内に入って調査したロボットは、
アメリカや日本の大学が開発した災害対応のロボットでした。

いずれもキャタピラで移動し、カメラ搭載でセンサーによって
遠隔操作が出来て建屋内の状況を確認できるものでした。

ですが、このロボットによって建屋内部の様子を垣間見ることができたが、
ドアを開けて、瓦礫をどかして中に入り、配管を直すことはできませんでした。

原発の内部は配管だらけで、塀を乗り越えてバルブを開閉するには、
人と同じ作業ができるヒューマノイドでないと無理という結果が得られました。

2013年のDARPAのコンテストでは、

「壁に穴を開ける」

「バルブを閉める」

といった種目で競われたが、これらのタスクは
福島原発事故が起きて解ったヒューマノイドでないと無理という
教訓から生まれたものです。

そもそも、このDARPAがプロジェクトを始めたのは2004年です。

きっかけは、イラン・イラク戦争だといわれています。

多くのアメリカの兵士が命を落とす中、少しでも兵士の犠牲を減らすため、
ロボット開発に進化を得るためにプロジェクトが始まりました。

最初のコンテストでは、ロサンゼルスの近郊からラスベガスまで
約300kmの砂漠を走る自動運転のロボットカーの競技でした。

この時の参加チームが15チームでしたが、
1チームも完走はできませんでした。

翌年に行われたコンテストでは同じコースで
5台が完走し、優勝はちなみにスタンフォード大のチームでした。

その当時、スタンフォード大のチーム責任者であった、
セバスチャン・スランはその後、
Googleに移り、自動運転車の実用化に取り組んでいます。

コンテストは、2007年には町を実際に
道路交通法に従って自動運転出で走行する
アーバンチャレンジに進化しました。

そして、2013年の福島原発事故をきっかけに、
ヒューマノイドの開発を進めるための内容に
コンテストの競技は変わっていきました。

日本でも、近年は「ロボコン」という映画が作られたり
ロボットを使った競技会は盛んです。

しかし、実は日本のこうしたロボット競技会は、
アメリカのMITで行われていたものをそのまま輸入しただけで
DARPA主催のロボティクス・チャレンジのように
実用的な福島原発事故を踏まえた競技内容に設定されたりは
していなくて、まだまだ実用化が伴うような競技会とはなっていない。

・なぜ日本の自動運転技術が実用化のスタートがきれないのか

Googleは、2007年から自動運転のロボットカーの開発を始めて、
2010年に「Google Car」を発表しました。

だが、実は自動運転車の実証実験を世界初で行って成功したのは、
何を隠そう実は日本なんです。

1978年に、当時の通産省工業技術院機械技術研究所が、
世界で最初に自動運転車を道路での実証実験をしている。

その時の実証実験では、道路に白い線を引いて、
その白い線を認識して走った。

ところが、頭の硬いお役所のお偉いさんは、

「日本の道路全部を白い線に変えるつもりか」

と反対があり、プロジェクトとはその反対によりぽしゃりました。

凄く残念ですよね。

優れた技術を持っていたにもかかわらず、
それをビジネスとして社会に反映させていこうと
スタートする段階で躓いてそのまま倒れたままになってしまいました。

一方、アメリカのカリフォルニア州では、
コミュニティや社会の承認を得て、
自動運転車を実際に使っていこう、
そして、本当に安全に使える可能性を
自分たちでも見極めようと姿勢で取り組んでいます。

アメリカの場合、日本と違っていて各々州の法律があるように
州の独自性が強いという特徴があるからですが、
日本の中央集権的ではロボットで一気に
イノベーションを起こして世界を牽引していくようになるのは、
実際今のままでは、不可能ではないかと思います。

今日は以上です。

次回は、ロボットが進化した未来に人間を超えるのかと
いうことをお話して、このテーマは終わりになります。

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